曽野綾子氏のコラムと批判について 雑感
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発端
表題の一連について感じたことをメモ。
対象となる内容は下記記事。
曽野綾子さん「移民を受け入れ、人種で分けて居住させるべき」産経新聞で主張
2月11日付の産経新聞コラムで、作家の曽野綾子さんが、日本の労働人口が減少している問題について触れ、移民を受け入れた上で、隔離して居住させるべき、と主張した。
サッチャーが首相を勤めていた時代だが、三年ほど英国で暮らす機会があった。
私は「外国人」だった。
いいことはたくさんあったが、一方で、残念ながら明確な差別行為を受けることも少なくなかった。
「外国人はどこの国でも嫌われる(ことがある)」と感じていた。
現在の仕事柄(賃貸管理が主の不動産会社)、マンションなど集合住宅で暮らす方からクレームを受ける。
内容はさまざまだが、外国人の隣人に対するものは少なくない。
時には「追い出してほしい」と明確に告げてくる大家もいる。
その後の反応について
簡単にまとめたが以上の経緯から、どうやら人間は「根源的に異人種を排除したがる傾向にある」と強く感じるのだ。
ましてや日本は単一民族国家の度合いが強く、その傾向はより顕著なのであろうと考える。
そして、その後の反応である。
南ア大使、産経新聞に抗議 曽野綾子氏のコラムめぐり - 日本経済新聞
産経新聞社は14日、産経新聞に掲載された作家、曽野綾子氏のコラムが「アパルトヘイト(人種隔離)を許容し、美化した」として、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使から抗議文を受け取ったと明らかにした。曽野氏は、11日付朝刊に掲載されたコラムで介護分野での労働移民について言及する中で「20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人
曽野綾子氏コラムめぐり南アフリカ大使も抗議 産経新聞に対して
産経新聞社は14日、同紙に掲載された曽野綾子氏のコラムに人種隔離を許容する内容が含まれているとして、南アフリカ大使から抗議を受けたことを明らかにした。
The Newspaper Columnist Who Wants to Bring Apartheid to Japan
A sensational column in a leading conservative daily says the country needs more immigrant workers, and holds up South Africa in the 1970s as a model.
まず、批判の内容として以下2つを明確に分けておきたい。
- アパルトヘイトという政策を批判すること
- 曽野氏のコラムまたは曽野氏個人を批判すること
関係組織および団体による抗議は前者に対するものであり、これは読んでみて違和感を覚えることは無かった。
驚いたのは後者に対する個人の発言と思われるものについてである。
これまで接することがあった身近で暮らす外国人に対し「ノー」を突きつける日本人と、曽野氏のコラムを批判する日本人が、自分の中で重ならなかったのだ。
これが驚いたことの原因なのではと思う。
ネット上で批判をしている方々と、これまで私が接した方々は別人であろう。(と強く願う)
もし、身近な生活においては外国人との共生を拒否し、ネット上では正義感を振りかざしているとしたら、これはとても恐ろしいことである。
考えておきたいこと
個人の感覚であるが、人間は人種に限らず身分身なりなど他者を決めつける傾向があり、その他者とは共生を拒むことを根源的に維持している生き物だと思う。
その一方で、共生せざるを得ない世界を築き進もうとしている。
自分の暮らす環境を考えてみると、極東の地にあり、母国語を維持した国であり、日々接するほとんどが自分と同じ人種である。
しかし今後鎖国などをしない限り「外国人」と接する機会は増えていくだろう。
この流れは、矛盾を抱えており、だから摩擦が起きる。
そして逆らえるものではない。
ではどうするか。
差別発言を批判するだけでは日々仕事で直面する問題は解決できない。
差別はやめなさいと言っても、ハイそうですかとはならいない。
「差別することは良くない」、「人は差別をする生き物である」、矛盾するこの2つを合わせて考えなければならないと強く思う。
自分自身への戒めも込めて考える。
臭いものに蓋をせず向き合い、その上で理性を持って答えを考える。
そうしなければ、いつまで経っても問題は解決しない。