『ハーモニー』 伊藤計劃 【読書感想】
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『ハーモニー』 あらすじ
21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉構成社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する〝ユートピア″。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した
――それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。 — 本書より引用
ココが読みどころ
- 時代設定は『虐殺器官』の少しあととなる21世紀後半、しかしその内容は多くの点で対比的であり、少女たちが物語を牽引していくミステリ仕立て。
- 自らが引き起こした滅亡の危機を乗り越えた人類が作り上げたのは究極の福祉社会、生命主義社会を舞台としたSFエンターテイメント。
- 人類が目指すべき社会、世界とはどんなものなのか、誰もが生涯の生を保証される重厚な福祉社会は果たして何を生むのか、現実社会の問題ともリンクする作品。
読書感想 (というよりは自分が物語を確認・検証するためのメモ)
かなり深くはまり込んでしまうほど楽しめ、かつ個人的に興味がある「意識」の存在について著者によるひとつの考察が展開されている点などがたいへん興味深い作品であった。
しかし、いざ感想をまとめようとなると言葉に詰まる。つまり私の理解はその程度であり現段階で掴めたものを書き連ねたメモレベルの記事となることをご了承願いたい。
ぜひ再読し、このモヤモヤっとしたものをうまく言語化したい。
著者が残したオリジナルストーリー『虐殺器官』と『ハーモニー』
本作は、若くして病で亡くなられた著者による遺作である。
真っ黒なカヴァーに包まれ、「人間は遺伝的に虐殺をつかさどる器官を持っている」という仮説をSF世界で描いた『虐殺器官』。
いっぽう本作は真っ白なカヴァー、そして寿命まで人は死ぬことがない超福祉社会を実現した世界を描いている。
外見から対比を感じるが、いずれの作品世界も人間を生物学的にとらえ、その進化の過程に着目し、未来世界をシミュレーションした結果を展開したもの。という共通した印象の作品だった。
虐殺器官 (伊藤計劃) のあらすじと感想。9.11以降の、"テロとの戦い"は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の影に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追って
物語の舞台設定
虐殺器官と直線的につながった世界であるか不明だが、年代的に虐殺器官の世界ののち、ウイルスにより人類が大混乱に陥り、核が世界各地に拡散「大災禍(ザ・イエルストロム)」へと発展し、それを収束に至ったあとの復興した世界が「ハーモニー」の舞台。
その災禍から人類は「政治」による社会統治の限界を感じ、生命主義を掲げ「生府」という統治機構により安定的な社会を作ることにした。そこでは人間ひとりひとりは重要な社会的リソースとして扱われる。成人すると「Watch Me」というソフトウェアを体内にインストールし、絶えず健康状態をチェック、家庭用のメディケアシステムで薬を生成し、人は寿命まで病を知らずに生きる世界である。
主人公の「霧慧トァン」、独立心が旺盛な「御冷ミァハ」、そして「零下堂キァン」、そんな世界で生きる少女たちの語らいから物語は始まる。
(特徴的な名前の由来はケルト神話だという記事をいくつか見つけたが詳細は不明)
どんな物語なのか
健康であり、自分自身の肉体は社会資源であるという意識付けがなされ、それらを国家と同様の位置づけとなる「生府」が統治した世界となれば、自傷、自殺といった行為は反社会的行為となる。
ミァハは自傷行為や自殺に興味を持っている。つまりは強く社会に疑問を抱いている。 そしてその疑問を友人であるトァンやキァンにぶつける。
しかし人間は本来的に精神的であれ肉体的であれ痛みによって生を感じ取ることができる生き物である。だがその痛みを感じることを失った世界はどこか異質である。
トァンはミァハを「歪んだ天真爛漫さ、真っ黒な明るさ」と称し、生命主義に従って生きる人々を「生気を抜かれた健康」と表現する。
わたしたちは互いに互いのこと、自分自身の詳細な情報を知らせることで、下手なことができなくなるようにしてるんだ。この社会はね、自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と平和と慎み深さを保っているんだよ。 — 本書より引用
WatchMeをインストールした人々のIDや健康状態というのは常に公開されており、「プライベート」という概念を失った世界でもある。
Facebookの創業者がインタビューで、世界中のすべての人々がプライベートをすべて公開するようになれば、世界は嘘のない正直で平和になるといったようなことを言っていたのを思い出した。
物語の中核はこのうちのトァンとミァハ。最終的に彼女たちが人類の未来を決する引き金を引くまでの物語。そこに至る多くの葛藤、人類史や進化を遂げてきた生命体としての人間を、深く掘り下げる話にもつながる。
人類の未来を決する引き金とは何か
つまりは「ハーモニー」である。 どういうことか? 大災禍を経験した生府の人間たちは、同じ過ちを完全に回避するために、人類が完全に調和した社会を実現するための研究に投資を続けてきた。
その結果、
意識とはまさに、脳の無意識下に存在する多数のエージェントの利害を調整するためにあるのであって、いわば意識されざる葛藤の結果が我々の意識であり、行動であるのだと。そして調和のとれた意志とは、すべてが当然であるような行動の状態であり、行為の決断に際して要請される意志そのものが存在しない状態だと。完璧な人間という存在を追い求めたら、意識は不要になって消滅してしまった — P264 トァンの父 霧慧ヌァザ より
ということだった。 ここで人間とは、意志とはなにか、という大きな葛藤が生じる
人間っていうのは、欲望と意志のあいだで針を極端に振ることしかできない、できそこないのメーターなんだよ。ほどほどができない。鳩にだって意志はあるもの。意志なんて、単に脊髄動物が実装しやすい形質だったから、いまだに脳みそに居座っているだけよ。 —P94 by ミァハ より引用
そして人間は、この報酬系によって動機づけられる多種多様な『欲求』のモジュールが、競って選択されようと調整を行うことで最終的に下す決断を、『意志』と呼んでいるわけだ。 — P169 by 冴紀教授 より引用
そして生府の人間たちはひるんだ。完全に調和した世界を迎え入れることを、自分が意志を持たない生物になることを。その結果、ハーモニー・プロジェクトは凍結にいたる。
しかし、この葛藤の末の生府による判断に真っ向から歯向かう存在がいる。
御冷ミァハだ。
生府社会に疑問を抱いているとはいえ、なぜ彼女はそうなったか。
実は彼女は、ある少数民族の一員であり、いくつかの運命の末に日本における里親のもとで暮らすようになったことが明らかとなる。
その少数民族とは、チェチェンにいた意識を生み出す遺伝子が欠如した民族であり、完璧で生来ハーモニーのとれたヒトの集団であるとされる。
その後、不幸にも人身売買の組織に拉致され軍人たちのレイプの道具となり欠如した遺伝子を補うよう補完的にその他の器官により意識を持つようになった。
自身のルーツとして「ハーモニー」を体験的に持つ少女、彼女は生府の判断に真っ向から立ち向かうべき存在だった。
対峙するトァンとミァハ
実は、トァンの父はWatchMeを開発し現在の生府による社会構築に貢献した者であり、そしてまた、ハーモニー・プロジェクトの研究者であった。
完全調和社会を生み出す研究においてミァハは研究対象であったが、生府の判断に歯向かい研究所を分裂しハーモニー実行を推し進める中心人物となる。
人類は進化の過程において、適者生存のため多くの機能を手にしてきた。 物語では、かつて地球が寒冷だった時に、現代におけるいわゆる糖尿病の状態となることで血液が凍結せず生き延びた話しを展開し、現在の自分たちはかつて生存に必要であった機能の蓄積した塊であると表現がなされる。
人間にとって存在してもよい自然とみなされる領域は、人類の歴史が長引けば長引くほど減ってゆく。ならば、魂を、人間の意識を、いじってはならない不可侵の領域とみなす根拠はどこにあるのだろう。
かつて人類には、怒りが必要だった。
かつて人類には、喜びが必要だった。
かつて人類には、哀しみが必要だった。
かつて人類には、楽しみが必要だった。
かつて、かつて、かつて。
それは過ぎ去った環境と時代に向けられる弔いの言葉。
かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。 — P326 by トァン より引用
トァンは事実を知るにつれ彼女もまた大きく葛藤する。
父のバックボーンを知り、ミァハのルーツを知ったのちに、彼女はまた異なる結論へと至る。
かつて宗教が、わたしがわたしであることを保証していたのだろう。すべては神が用意されたものなのだから。人間がそれに口を差し挟む必要はない。けれど、宗教のそのような機能は今日では完全に失われてしまった。喜怒哀楽、脳で起こるすべての現象が、その時々で人類が置かれた環境において、生存上有利になる特性だったから付加されてきた「だけだ」ということになれば、多くの倫理はその絶対的な根拠を失う。絶対的であることを止めた倫理――相対的な倫理――は脆い。歴史がそれを証明している。 — 本書より引用
トァンはミァハのを止めようと対峙するが、結局はミァハの目論見どおり、ハーモニー、つまりは人類から意識を奪い取る引き金を引くこととなる。
しかしその理由はミァハのそれとは異なるものであったと思われる。
独特な文体
本書は「etml (Emotion in Text Markup Language)」という文書を読むという体裁となっている。
具体的には文章のさまざまな箇所が<surprise></surprise>や<laugh></laugh>といった主に「感情」を表現するタグ付けがなされた文書である。
物語の最終章は、本書が、トァンが引き金を引いた後の世界、ハーモニー社会?の人々に向けた文書であることが明かされる。
つまり意識や感情を持たなくなった人類が、『文中タグに従ってさまざまな感情のテクスチャを生起させたり、テクスト各所のメタ的な機能を「実感」しながら読み進むことが可能』なデータフォーマットでかかれた記録である。
そして最終章の手前には
<null>わたし</null>
という区切りが入っている。
nullとは、ドイツ語における「ゼロ」、プログラミング言語における「何もない」、を意味する。
最後に
著者は作家デビューしてからわずか2年ほどで亡くなられてしまった。
その短い期間でSF史に残る名作を生み出す才能、そして病と闘い、死の際まで書き続けた底知れぬエネルギーに、凡人のわたしはただひれ伏すばかりである。
拙い文で恐縮だがもし興味を持たれた方がいたら、ぜひ、ひとつ前の『虐殺器官』、本作『ハーモニー』を読んでみてほしい。
映像化について
つい先日(2017.03.23時点)、虐殺器官がアニメ映画化され早速観に行ったのだが、主人公が母親との時間を回想するシーンが削られていた。常に死の影につきまとわれる主人公を描くにあたり重要なポイントであったはずなので、いまいち説得力に欠けるストーリーのように思われたが、それはそれでシンプルな話として楽しめた。
ハーモニーもアニメ作品として映像化されているようなので読後の熱が冷めぬうちに見てみたい。
著者について
伊藤計劃 Project Itoh
1974年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』で作家デビュー。同書は「ベストSF2007」「ゼロ年代ベストSF」第1位に輝いた。2008年、人気ゲームのノベライズ『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』に続き、オリジナル長篇第2作となる本書を刊行。第30回日本SF大賞のほか、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門を受賞した。2009年没。 — 本書より引用