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『掏摸』『王国』 <二作品> 中村文則 【読書感想】

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あらすじ

東京を仕事場にする天才スリ師。ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎 ――かつて仕事をともにした闇社会に生きる男。木崎は彼にこう囁いた。
「これから3つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げれば、あの女と子供を殺す」  運命とはなにか、他人の人生を支配するとはどういうことなのか。そして、社会から外れた人々の切なる祈りとは…。大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳されたベストセラーが文庫化!。 —「掏摸」より引用

組織によって選ばれた「社会的要人」の弱みを人工的に作ること、それがユリカの仕事だった。ある日、彼女は見知らぬ男から忠告を受ける。
「あの男に関わらない方がいい……何というか、化け物なんだ」
 男の名は木崎。不意に鳴り響く部屋の電話、受話器の中から語りかける男の声――圧倒的に美しく輝く「黒」がユリカを照らした時、彼女の逃亡劇始まった。世界中で翻訳&絶賛されたベストセラー『掏摸』の兄妹篇が待望の文庫化!。 — 「王国」より引用

読書感想

読みどころ

  • 掏摸は西村というスリ師の男、王国は鹿島ユリカという娼婦の女が謎の男、木崎と対峙する兄妹作品でそれぞれ共通する部分と異なる部分を比較しながら読むと楽しめる。
  • どちらにも登場する木崎という男は、2015年出版の同著者『教団X』の教祖を彷彿させる人物であり、教祖とか圧倒的な悪とか意味わからんかった、という人には、理解の助けとなる2冊。
  • それぞれ個別にストーリーが完結するのでどちらから読んでも楽しめる。掏摸は文学色が濃く、王国はサスペンス要素があり読みやすい。

「木崎」という男、それぞれの物語の象徴である塔と月

  • 掏摸の主人公……西村(本文中ただ一か所で木崎が指摘)
  • 王国の主人公……鹿島ユリカ
  • 共通で登場 ……木崎

いずれの作品にも「木崎」という謎の男が登場する。大まかな物語の構成として、各作品の主人公が彼に翻弄される。

そして、それぞれの物語を象徴するモチーフとして、西村には古びた塔、ユリカには月が見えるというシーンが頻繁に描かれる。

この二人に共通することとしては、社会的に外れた道を生きている(掏摸、娼婦)が、一抹のやさしさを持ち合わせていることだろうか。

西村は母親に万引きをけしかけられている子どもを救おうとし、ユリカもまた親友の子どもを救おうとする。

人間の中の悪、その象徴としての木崎

著者の作品を初期から読んでいて印象的なのは、主人公がものごとや自身の内面を意識的にとらえようとする姿である。

本能に突き動かされる衝動や、無意識に起こる何かで作品が彩られることはない。どれだけ愚かであったり、苦しいことであってもそれを意識的に行い受け止めようとする、というか説明が難しい。

たとえば、『土の中の子ども』という作品では、主人公の男は自殺願望ともとれる行為をとても意識的に繰り返す。

『土の中の子供』 中村文則 【読書感想・あらすじ】

あらすじ 27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞

そして、この2作品において、人間が意識的に試みる究極的な悪意とも呼べるようなものを木崎という男を通じて描いている。

「……他人の人生を、机の上で規定していく。他人の上にそうやって君臨することは、神に似てると思わんか。もし神がいるとしたら、この世界をもっとも味わってるのは神だ。俺は多くの他人の人生を動かしながら、時々、その人間と同化した気分になる。彼らが考え、感じたことが、自分の中に入ってくることがある。複数の人間の感情が、同時に侵入してくる状態だ。お前は、味わったことがないからわからんだろう。あらゆる快楽の中で、これが最上のものだ。いいか、よく聞け」 — 「掏摸」より引用

これは木崎が西村に言い放つ言葉であるが、同様のことを王国ではユリカに語る。

衝動的に人を殺したからアイツは悪いヤツ、悪気なく嘘を繰り返すアイツは悪いヤツ、ではない。木崎は、これから殺そうとする相手に対し、相手の人生に思いを馳せ幸せに歓喜し悲しみに涙を流し、そうして完全にシンクロしたのちに無残にその人生に終止符を打つ。

超胸クソである。

そして2人は彼に運命を握られ翻弄される。

「お前の運命は、俺が握っていたのか。それとも、俺に握られることが、お前の運命だったのか。……だがそれは元々、同じことだと思わんか」 —「掏摸」より引用

木崎はなぜ、そんなことをする男なのか。ユリカに「退屈だからだ」と話したりもするのだが、「俺は今機嫌がいい」ときにもう少し説明をするくだりがある。(コイツは機嫌がいいとよく話す)

木崎は2つの例を引き合いに出し、こう語る。

神を信じ磔にされたキリストがもしも復活できなかったとする過程の話。

そして、自分の中で聞こえる神の声に従って死刑となったギリシャの哲学者ソクラテス。

この二つのケースは随分と似ていると思わないか。神に誘導され、裏切られ、無残に死ぬことで人々の中に名を残す。こういうことが、この世界で度々起こると仮定するといい。その時の神は最高に愉快な気持ちだと思わないか。……私は、それをやろうと思った —「掏摸」より引用

これは人々が知る神の存在否定であり、悪の象徴、木崎が神であることを示唆しするかのようなくだりである。

そして『教団X』のすべてに退屈しきった教祖は、この木崎の成れの果ての姿として描かれているように思える。

『教団X』 中村文則 【読書感想・あらすじ】

あらすじ 対をなし存在する「2つの集団」。ひとつは「沢渡(さわたり)」という男が教祖として君臨し、都内のマンション一棟に潜むカルト宗教であり、そこには多くの若い男女が集っている。その宗教団体は公安や警察に「教団X」と呼ばれマークされている。もうひとつは、自称アマチュア思索家「松尾正太郎」を教祖とする

そのほか気になったことなど

ユリカの雇い主である「矢田」は、西村が最後にスリを行った男の雇い主である「矢田」と同一人物かもしれない。

ユリカが木崎の正体を知らずに話している場面を目撃し、彼女からナイフをスって警告をした男は西村ではないだろうか。

個人的には文学作品として楽しめる掏摸の方が好きだが、王国の終わり方は胸を打つものがあった。

著者について

中村文則(なかむら・ふみのり) 1977年愛知県生まれ。2002年『銃』で新潮新人賞を受賞しデビュー。04年『遮光』で野間文芸新人賞、05年『土の中の子供』で芥川賞、10年『掏摸』で大江健三郎賞を受賞。12年『掏摸』の英訳が米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの年間ベスト10小説に選ばれる。作品は各国で翻訳され、14年David L.Goodis賞(米)を受賞。他の著書に『最後の命』(映画化)『何もかも憂鬱な夜に』『去年の冬、きみと別れ』『教団X』などがある。
中村文則公式サイト http://www.nakamurafuminori.jp — 本書より引用

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