素晴らしき読書体験に関する考察
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大げさなタイトルを掲げたが、ごく私的な話である。
私が読む本はフィクションがほとんどだ。
しかしノンフィクションも好んで読む。
ノンフィクションにおける重要な要素のひとつは事実であること。
「事実である」、そのことが文章から受ける衝撃を深いものにする重要な要素であると私は思っている。(「衝撃」と書いたが、これは「感動」や「感銘」など心に強く作用することを意味している)
フィクションには「事実である」という要素は含まれていない。事実に基づいた作品もあるがその多くは創作である。
では、フィクション作品から強い衝撃を受けることはないのか。
否、フィクションはノンフィクションを遥かに凌駕する可能性を秘めており、それこそがフィクション作品を飽くことなく次々と読み続ける理由と言える。
ノンフィクションを凌駕する、とはどういう現象か。
それは、読み手がフィクションであることを忘れる、あるいは気づかないゾーンにハマることができた場合とでも言おうか。
この状態に至るには、読み手のコンディションも影響するが、やはり作品の持つ力がもっとも大きいと考える。
ノンフィクションを凌駕するフィクション、そんな作品に出会ってしまった場合、ひとたびページを開くとたちまち文章の魔術により現実を忘れ、その作品世界へと引きずり込まれてしまう。
その作品の描き出す世界が現実世界を凌駕し唯一となる。
唯一と感じる。
この感覚は私にとって何にも変え難い素晴らしい体験をもたらしてくれる。
まるでなにかの中毒者の思考と同じだが、これを再び味わうためならどんな労苦をも厭わない気持ちになる。
Tripにも似た体験を求める行為であるが、おクスリなど後ろ指さされがちなものではなく読書でよかったとは思う。実際そう差はないように感じるのだが。
この世界に「読書」という素晴らしき体験をもたらしてくれるすべてに感謝したい。