『暗渠の宿』 西村賢太 【読書感想】
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あらすじ
貧困に喘ぎ、暴言をまき散らし、女性のぬくもりを求め街を彷徨えば手酷く裏切られる。屈辱にまみれた小心を、酒の力で奮い立たせても、またやり場ない怒りに身を焼かれるばかり。路上に果てた大正期の小説家・藤澤清造に熱烈に傾倒し、破滅のふちで喘ぐ男の内面を、異様な迫力で描く劇薬のような私小説二篇。デビュー作「けがれなき酒のへど」を併録した野間文芸新人賞受賞作。 — 本書より引用
読書感想
読みどころ
- 冴えない30過ぎの男による一人称語りの私小説。
- 恋人を求め、風俗嬢をなんとか口説き落とそうと失敗する話(けがれなき酒のへど)、念願の彼女と同棲を始めるも些細なことで怒り狂いながら依存する狂人的な生活の話(暗渠の宿)の二篇収録。
- 一切己の欲望に逆らわない男には俗人と聖人が同居しており、その姿からは人間本来の姿が透けてみる。
恋人を求め風俗を渡り歩く男の話〜けがれなき酒のへど
本書は二篇の少作品からなる。
いずれも三十を過ぎた冴えない男による一人称語りの私小説である。
日雇いで稼いだなけなしの金を、湧き続ける性欲を満たすため風俗に通い詰める。普段は小心者だが、酒の力を借りて暴力をふるう。数々のコンプレックスが複雑な層を成すその人格は、プライドだけが非常に高く、些細な侮辱にも執拗な執着を見せる。
なんというか滑稽でどうしようもない男の話である。
風俗で性欲を満たすことはできても、心が満たされることはない。彼は風俗で働く女性たちの中から好みのタイプを見つけ出し、なんとか恋愛関係に持ち込もうと思い立つ。
相手を篭絡するまで己の正体を隠す計算高さを持ち合わせているものの、相手は百戦錬磨のプロ、適うはずもない。予想通りの結末をたどるこの物語には、欲望に支配されてしまう人間の悲哀とおかしさが相滲んでいる。
心底望んでいた恋恋人との同棲生活〜暗渠の宿
こちらは打って変わり、待ち望んでいた恋人がおり、二人で同棲を始めるところから始まる。
新居を探す場面から日々の食事での出来事など、とにかく男は身勝手であり、女性がとにかく理不尽に振り回される格好である。女性に味噌ラーメンを買って来いと言い、とんこつラーメンを買ってきた夜などは、とうとう怒鳴りつけてしまう有様だ。
そして、トイレに入り鍵をかけるのをうっかり忘れ、彼女にドアをあけられるそのとき事件が起こる。下半身をむき出しにして用を足す習慣と、片足を便器にかけ尻を拭う姿が同時に露見してしまうのだ。笑い話で済みそうなものだが、彼は彼女を張り飛ばし、激しく怒鳴りつけるのだった。
それでいながら男は彼女に深く依存している。つまりはこの男、とんだクソ野郎であり、サイコパスとしての特徴を備え持つ。
二篇を通じて思うこと
登場する女性の側からすればひたすらに恐怖の話だ。
この男に共感はできないが、また目を逸らすことができないのもまた事実である。
どれだけ正義を振りかざし聖人ぶっていても、ひと皮むけばその下には薄暗い感情のひとつぐらいは潜んでいる。人類は文明を築き、社会を発展させ、理性で本能を制御するべしとまい進するが、この男を見ていると人間とは元来こういうものだというあらためて気づかされる。
事件のニュースで報じられる犯人に対し、我々は線を引きたがる。何かしらの異常性を発見したがり、異常者のレッテルを貼りたがる。しかしその異常性は誰しも内に抱えており、それが人間であり、その事実を眼前に突きつけてくる迫力がこの作品にはある。
この男、つまりは著者自身のことであると思うが、彼は「藤澤清造」という大正時代の作家に深く傾倒しており、自ら没後弟子を名乗りさまざまな活動をしている。
藤澤氏の月命日には、毎月、石川県七尾市の寺に足を運び法要を主催し、絶版となった氏の全集を出版すべく知り合いの古書店に金をコツコツ預けている。
風俗嬢を口説き落とそうと四苦八苦し酒を浴び怒鳴り散らす煩悩丸出しの側面と、藤澤清造に傾倒し自らを戒律に縛り付け生きる修験者のような側面とが、この著者には同居している。
私小説として語られるに足る人物自体が、現代においてはそもそも稀有な存在であると思われ、なおかつ荒々しく一心に生きる著者の生き様は強く人を引きつけるものがある。
著者について
西村賢太 Nishimura Kenta
1967(昭和42)年東京都生れ。中卒。2007(平成19)年『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、’11年『苦役列車』で芥川賞を受賞。刊行準備中の『藤澤清造全集』(全五巻別巻二)_を個人編輯。著者に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度は行けぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『廃疾かかえて』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』ほか。 — 本書より引用