『凍原』 桜木紫乃 【読書感想】
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あらすじ
一九九二年七月、北海道釧路市内の小学校に通う水谷貢という少年が行方不明になった。湿原の谷地眼(やちまなこ)に落ちたと思われる少年が、帰ってくることはなかった。それから十七年、貢の姉、松崎比呂は刑事として道警釧路方面本部に着任し、湿原で発見された他殺死体の現場に臨場する。被害者の会社員は自身の青い目を隠すため、常にカラーコンタクトをしていた。札幌、小樽、室蘭、留萌。捜査行の果てに、樺太から流れ、激動の時代を生き抜いた顔のない女の一生が、浮かび上がる! 文庫化に際し完全改稿を行った、新・直木賞作家唯一の長編ミステリー! — 本書より引用
読書感想
久々の文芸作品
2019年1月11日の前回の投稿以降、長らく新しい感想を書くことが無かった。
「本を読むこと」について、仕事に関する専門書を読む機会が多かった一方、小説の類にはまったく触れることのない期間だった。
多忙だったり、あまりに多くのことが私生活であり過ぎたりと、理由はいろいろ思い浮かぶ。
しかし、隙間を縫って読めなかったかと言えばそんなことはなく、「このまま読書とは縁がなくなるのでは」などと不安になったりもする期間でもあった。
久々に、そして唐突に訪れた衝動に突き動かされ、積読の山に「エイヤッ」と手を伸ばし、手の中にあったのがこの「凍原」だった。
ぐいぐいと文章を追っていくごとに情景が頭の中に浮かぶ。
久々に本の世界に没入する快感が蘇ってくる。
そして、ふと目を上げると急激に、非日常から日常へと引き戻されるようなあの感覚。
読書はやっぱり最高だぜ。
そして「凍原」は素晴らしい作品だった。
桜木紫乃作品はやっぱり最高だぜ。
久々の読書に興奮し筆が乱れてしまった。
以下、感想。
釧路の湿原で起きた事件、深淵なる背景
釧路湿原の地中には常に冷たい水が流れており、生き物が腐って土に還るためのバクテリアも十分に発生しない。枯れた植物は朽ちることなく泥と一緒に湿原の底に積み重なり、泥炭が途切れたり穴が空いたりした水たまりのことを谷地眼と呼ぶそうだ。
また、水はどこかですべてつながっており、この地域一帯が、浮島のようになっているとの表現が印象深い。
まだ訪れたことのない釧路という土地の情景が、この表現により脳内で像を結んだ。
物語は1992年7月に釧路市の湿原で少年が行方不明となる事件から始まる。
そして戦前の樺太へと一気に遡り、現代へと場面を移す。
2009年の5月、道東の港町、釧路市の湿原で若い男の死体が見つかった。
物語の中心人物である釧路方面本部の担当刑事「松崎比呂」と彼女の先輩刑事「片桐周平」が事件を追うごとに謎は深まる。
この事件の源流は、太平洋戦争末期のころに樺太から北海道へ逃れてきた人物に端を発し、蜘蛛の巣のように広がるその水脈はいくつもの町へ、人々へと連なる。
そしてその連なりの中には松崎、片桐もまた含まれている。
刑事ミステリ仕立てではあるが、時代を超えて北の大地を生き抜いてきた人々を描く大河作品との印象が上回る長編作品だ。
想像力をかき立てる美しい自然描写
北海道の根付く文化には独自の色がある。
それは土地の名前や生き物の名前などによく表れている。
「釧路(くしろ)」という名前もまた独特な響きを感じる。
物語の中心となる釧路湿原が登場する場面の描写が特に好きだ。
塘路湖を背にして望むコッタロ方向は湿原の途中でふつりと霧に遮られている。 — 本書97ページより
泥炭で膿んだ湿地に下りる。足の下が巨大な生き物の背のように感じられた。やはりここは水に浮いた街なのだ。~ 風も川縁とはすこし違う。それでもやはり湿原から吹く風には、飲み込んできた生きものたちのにおいが混じっていた。 — 本書99ページより
「蝦夷梅雨」という言葉もはじめて知った。
北海道の梅雨は本州とはまた違った原理により起こるのだという。
梅雨のころ、北海道の太平洋側で雨が多く降る現象。オホーツク海高気圧から冷たく湿った風が吹くことによって起こる。→梅雨
> [補説]梅雨前線はふつう北海道に到達する前に衰えるため、本州のような梅雨はみられない。 — コトバンク より
小説を読むことで見知らぬ土地や自然に出会えるのもまた読書の醍醐味だとあらためて思う。地下水脈の上に浮かぶ浮島のような土地「釧路」、霧の立ち込める釧路湿原にいつか訪れてみたいと強く思った。
重い問いかけ
物語に登場する3つの時代それぞれにおいて、人の死がある。それが人の手にかかるものであれば、それは殺人である。
同じ「殺人」という事実をもってしても、時代背景が異なる戦時下と現代ではまたその見え方も異なる。
3つの時代における人の死を重ねてみると、罪は罪でもわからなくなってくる部分は正直ある。
人が生まれ一生を送るあいだにおいて、違いはあれど誰しも少なからずいくらかの罪を背負うことなく過ごすことは不可能であろう。その事実を、この作品は胸元に鋭く突き付けてくる。
これまで読んできた桜木紫乃作品において、根っからの悪人というのはあまり登場せず、この作品もまたそうであった。
しかし、誰しもが罪深い。人間とは罪深い生き物だということを強く意識させられる。
かといって、その罪を否定する物語ではない。
誰しもが罪深さを抱えているが、人が生きることを温かい目線で肯定している。
これらの対比が作品の奥行となり、救いとなっているように思う。
好きだった箇所のメモ
- ある日突然はっきりと腑に落ちてしまうくらいなら、ない方がいい。加代も自分も、それぞれの体に永遠に温まることのない部分を抱えている。
- この哀しみには名前がなかった。 — 本書101ページより
著者について
桜木紫乃(さくらぎ・しの)
一九六五年北海道生まれ。二〇〇二年「雪虫」で第八二回オール読物新人賞を受賞。一三年『ホテルローヤル』で第一四九回直木賞受賞。他の著書に『水平線』『起終点駅(ターミナル)』『無垢の領域』などがある。 — 本書より引用