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『善と悪の経済学』トーマス・セドラチェク【読書感想】

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資本主義の世界で感じるモヤモヤ

皆さまは資本主義の世界をエンジョイしているだろうか?

一定のルールの元、皆が自由に経済活動することで社会が発展し、豊かさを手にする人が増える。人類による優れた発明のひとつ「資本主義」。

資本主義、大好きですか?

私は半々という感じ。

今は亡きソビエト連邦が行った壮大な社会実験・社会主義は、「人は競争しないと腐る」ことを証明した。

脳がバカデカいとはいえホモ・サピエンスだって動物だもの。その正体は生存競争を勝ち抜いてきた生物界のスーパーエリート、競争の世界で活動するのが健全なのだろう。

その人間の習性をうまく利用した素晴らしい仕組みだと思うよ資本主義。そういった意味では肯定的な気持ちになる。

かと言って、社会主義がダメだったから資本主義はサイコーかと言うと、はっきりイエスと言い切れないのが正直なところだ。

競争するも良しだし、金もうけも一向に構わんのだ。しかしなんつーか社会に出たり大人になってみると「おやっ?」とか「むむっ!?」となること、あるじゃないですか。

たとえば、「得られる利益 > ペナルティによる損失」のような場合、ありますね。大人ならわかるね。

こういう時、ゴーサインを出すことが「ビジネス的に正解」となるじゃないですか。

つまり、経済的利益を生み出すことの前で、「倫理」や「道徳」、時には「法」ですら霞むのが資本主義の1つの側面としてある。というこの部分、これが資本主義に対して抱く「おやっ!?」と感じる頻出ケースなワケだ。

日本で生まれ育った私は資本主義が唯一体験した経済システムであり、経済活動は自由にできて当たり前だと思って生きてきた。

資本主義は競争を促す構造を持つ。競争であるからして勝者がいれば敗者がいる。

人類は競争にルールを設ける知恵を持つ。不当に不利益を被る人がないようにすることがルールの目的には含まれているはずだ。

ルールのもと健全な競争が行われ勝者と敗者が決するならば何も疑問は持たないかもしれない。

しかし現在進行形で進化拡大を続ける現代資本主義は「利益の追求」が余裕で「ルール」をオーバーランする。

ニュースとか見てるとそんな出来事が世界のどこかで頻繁に起きていると感じるでしょ。

しつこく書いているこの利益の追求がルールどころか道徳や倫理より優先される点の何が「むむっ!?」となるかというと、不当に不利益を被る人が出る、最悪の場合人生が破綻したり死人が出たりすることだ。

つまり「資本主義は社会主義に比べると良いシステムかもしれんけど、犠牲者が出るシステムってダメよね」という話し。

身近で体験したこともありますし、こういう話を耳にするたび、何年経ってもズーンっと気持ちが沈み込んでしまう。

この膨張し続けるモヤモヤと向き合うにはどうすればいいのだっ!と思っていたところ、最適な本と出会うことができた。

ここまで長くて申し訳ない。

それはつまり、この記事の主役「善と悪の経済学」だ。

ほんと前置きが長くて申し訳ないが知るもんですか。私の前置きは永遠に終わらない!かもしれないぐらい止まらないからもうちょっとお付き合いを。

著者の「トーマス・セドラチェク」を知ったキッカケ

たしか2008年にリーマンショックが起きた後に放送されたNHKスペシャルだったと記憶している。

多くの経済専門家が出演しさまざまな問題点を指摘していた。

だがそのほとんどは、リーマンショックという金融危機それ自体を言及するものであった。

そんな中、

「毎年大儲けしても増収増益以外は停滞と見做される」
「メガバンク救済など借金チャラのシステムがないと機能しない」

など、「資本主義の構造そのもの」に言及している人物がいた。

それは、かつて共産主義国家であったチェコ出身の経済学者「トーマス・セドラチェク」。

彼の語り口はややシニカルな響きを帯びていた。ように思う。

その姿が印書に強く残り、いつか著書を読んでみようと「トーマス・セドラチェク」の名前をメモし、ようやく十年越しに著作を読むに至ったのだ。

そう、私は前置きも長いし行動に移すまでの時間も長い。

「善と悪の経済学」の感想

目次はこんな感じ。

  • 序章:経済学の物語— 詩から学問へ
  • 第1章:ギルガメシュ叙事詩
  • 第2章:旧約聖書
  • 第3章:古代ギリシャ
  • 第4章:キリスト教
  • 第5章:デカルトと機械論
  • 第6章:バーナード・マンデヴィル— 蜂の悪徳
  • 第7章:アダム・スミス— 経済学の父
  • 第8章:強欲の必要性— 欲望の歴史
  • 第9章:進歩、ニューアダム、安息日の経済学
  • 第10章:善悪軸と経済学のバイブル
  • 第11章:市場の見えざる手とホモ・エコノミクスの歴史
  • 第12章:アニマルスピリットの歴史
  • 第13章:メタ数学
  • 第14章:真理の探究— 科学、神話、信仰
  • 終章:ここに龍あり

本編約500ページ、引用文献も100ページにびっしりと記してある。良き。

資本主義社会において、「経済」と「善悪」は対極にある。

いや「善悪」は「経済」における選択肢のひとつ「添え物のようなモノ」と、少なくとも私はそのように洗脳されてきた。

しかし現代の「経済学」および「資本主義」が辿ってきた経歴とはいかなるものか。

セドラチェクは、最古の文学「ギルガメシュ叙事詩」、「旧約聖書」、「新約聖書」、「古代ギリシャ」まで遡り、経済学の萌芽を炙り出そうと試みる。

我々の祖先が辿った哲学の時代、科学の時代を再検証する。

その帰結として本書が導き出すのは「現代の経済学」と「これまでの経済学」の差異、それすなわち「善悪」なのだ!というのが本書の前半。

どんな経済学も、結局のところは善悪を扱っている。経済学は人間の人間による人間のための物語を語っているのであって、どれほど高度な数学的モデルも、実際には物語であり、寓話であり、自分を取り巻く世界を(合理的に)理解しようとする試みだと言える。 — 本書 7ページより引用

かつて経済は善悪と密接にあった。時代によっては儲けることが悪とされていたり、経済活動と道徳倫理は常に一体だった。

それがいつからどこからどうしてこうなってしまったのか、かなりの章を割き、文献を引用しセドラチェクは示してくれる。

乱暴に要約すると、産業革命以降、技術や数学が進化し、人類はそれまでの宗教や倫理や哲学と密接に結びついていた経済学を切り離し、経済と科学の統合へと向かう。不確定要素の塊である善悪の概念は現代の科学・数学では吸収できる代物じゃない。よって徐々に亡き扱いとなる。そしてすべては数理モデルで予測解説が可能なのぜサイコー現代資本主義&経済学が爆誕、という感じ。

我ながら説明が酷過ぎて笑えてくるがスマン。本書では丁寧に説得力を持って説明されているから興味を持ったらゼヒ本編を読んでみてほしい。ホントしびれるから。

そして、前置きで私が長々書いた現代資本主義に対するモヤモヤの原因は、ここにあったのだな、となる。

人間なんてものは矛盾の塊みたいな存在なわけで常に移ろう。そんな奴らが巻き起こす経済活動をナゼ科学の力で何とかなると考えたか。

ニュートンは物理学の問題を解く必要があった。そこで独自の計算式を考案した。彼は数学をツールとして使い、観察した事実を数式化することによって研究を容易に進められるようにした。だが経済学は、しばしば正反対のことをしているように見える。つまり、数学にうまく適合するように現実世界(および人間)をモデル化している — 本書 414ページより引用

経済モデルの多くは、異なる文化、社会、歴史、宗教環境を一切考慮しない抽象世界に浮かんでいる。経済学はそうしたコンテクストを完全に切り捨ててしまった。だが文化、社会、歴史、宗教を理解せずに、人間のふるまいを理解することができるのだろうか。 — 本書 434ページより引用

科学は現代の最大宗教。

これは以前読んだ「サピエンス全史」で出てきた話だったがセドラチェクも同じような指摘をしている。

『サピエンス全史』 ユヴァル・ノア・ハラリ 【読書感想・あらすじ】

ようやく読み始め、ようやく読み終えた。内容はあらすじにある通り、取るに足らない種の一種であった我々の祖先が、遺伝子を解し、神にとって代わり、新たな種を生み出すことも不可能ではない現在へ到達するまでの経緯、現時点での結果、そして少し先の未来についてが語られた作品である。

科学以前は「いわゆる宗教」や「神話」といったものが人々の信じる存在であり、先にも書いたが、それらが経済活動に対する「定め」を提示してきた。

そう考えると、現代の最大宗教「科学」が、現代の経済をすべて語れるとすることはごく自然な流れなのだろう。

問題は、われわれ人間のコアであり矛盾発生装置である「善悪」すなわち倫理道徳を排除というか経済の下に置いたことだ。

数理モデルで人々の経済活動を分析・予測する試みに多くの成功はあったのだろう。

だが善悪を考慮することを忘れた経済学は世界を恐怖のどん底に陥れてしまう。

リーマンショックのような恐慌はその最たるもので、2020年から大流行を巻き起こした新型コロナウイルスに対して現代の経済学は何を語っているのだろうか。

チェス好きの友人は、チェス盤の横に飲み物を置き、そのテーブルを「六五番目のマス」と呼ぶ。この六五番目のマスは、実際にチェス盤を除いた全世界だと言える。この状況は、分析アプローチを思わせないだろうか。私たちはチェスについて明確に説明できるし、チェス盤に置かれた駒の動きを分析することもできる。だが重要なことが起きるのは、最も大きなマス目、つまり六五番目のマスにおいてなのだ。そもそも、プレイヤーがいるのもそこである。 — 本書 456ページより引用

結局のところ、モデルは虚構である。役に立つ虚構であることを願っているが、とにかく虚構であるにはちがいない。経済学者たるものは、その虚構性を認識しなければならない。 — 本書 461ページより引用

さて前半部分で現代の資本主義経済およびそれを支える現代経済学の抱える矛盾や欠落を切り裂く刃を研ぎ済まして迎える後半部分は未来へ向けた話となる。

セドラチェクは、経済学は素晴らしい学問であり、すべての学問と密接にかかわるべきモノと語る。今のように社会学や哲学や宗教学などを下に置くのではなく。

すべては人間の行動に関する話しなわけで、ごくごく普通に考えればそうだろうと思う。

金儲けを望む一方で金を失うようなこともしたがるし、何の得もないのに善意で金を使ったり、経済とは無関係なものに純粋性を感じ崇めたり、人間の思考行動は広大で矛盾に満ち満ちている。

現代資本主義における効用の最大化を目指す場合において、善悪、つまり倫理を無視して良いとすることのもっとも大きな罪は、伴ってしまった犠牲だと思う。

結果として成長した、発展した。しかし、その過程において犠牲となる者がいた。

その犠牲者は果たして報われるのか?という話しだ。

善悪という概念を見ないものとしなければ発展できなかった現代資本主義のフェーズが行き着くところまでたどり着いた後の揺り戻しは、どこに着地するのだろうか。

善悪を無視した要因として「善は報われるのか」に対する回答を人類が発明できなかったことはあると思われる。

善が報われるには、ただ経済的なインセンティブが善行に対して設けられるだけでは意味がない。(善行をカモフラージュする悪行とのイタチごっこが目に見える)

善が報われる世界をどう発明するのか。

GDPの成長は万人にとって良いものじゃないと皆が知っている。

セドラチェクはすべての学問と経済学がいま一度むすびつきを取り戻し発展した先に、現代への答えがあると信じているのだろう。

私は本書を通じて、経済学は数学的な理解よりももっと幅の広い魅力的な物語だということを示そうと試みた。ある意味では、経済と経済学の魂を、アニマルスピリットを、拙いながらも伝えようと試みたとも言える。魂というものは、見守り、世話をし、育てなければならない。経済学には魂はあるし、それを失うべきではない。経済学者は現実の世界について何かを主張する前に、このことを認め、理解すべきだ。 — 本書 483ページより引用

熱のこもった終章からは著者が抱く希望と熱い魂を感じた。

終わりに

経済学とはまったくの無縁の素人による感想文なので適切な説明となっていない部分もあったりするので、興味を持った方がもしいたら是非是非本書を読んでみてほしい。

私同様に資本主義ってなんぞ?ホントいいもんなの?という疑問を抱いている方にとって思考の幅をもたらしてくれると思う。

高度成長期以降の日本しか知らない私は現在の経済システムが当たり前で、他を知らないがゆえに苦しんだり悩んだりしていた部分がグッと楽になったように思う。

人類の歴史は長いし世界は広いっすね。

ついこないだまで社会主義だった国とか、キューバとか今のうちに行ってみたい。できればしばらく住んで資本主義以外の経済システムを体感してみたい。

そうなると金がいるな。善悪とか言ってらんねえ。もっともっと金を稼がなければ!!

お後がよろしいようで。

長文・駄文お付き合いいただき感謝!

著者・訳者について

トーマス・セドラチェク (Tomas Sedlacek)
1977年生まれ。チェコ共和国の経済学者。同国が運営する最大の商業銀行の一つであるCSOBで、マクロ経済担当のチーフストラテジストを務める。
チェコ共和国国家経済会議の前メンバー。「ドイツ語圏最古の大学」と言われるプラハ・カレル大学在学中の24歳の時に、初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの経済アドバイザーとなる。2006年には、イェール大学の学生らが発行している『イェール・エコノミック・レビュー』で注目株の経済学者5人のうちの一人に選ばれた。本書はチェコでベストセラーとなり、刊行後すぐに15の言語に翻訳された。2012年にはドイツのベスト経済書賞(フランクフルト・ブックフェア)を受賞。 — 本書より引用

村井章子(むらい あきこ)
翻訳家。上智大学文学部卒業。翻訳書多数。最近の訳書に、『帳簿の世界史』『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(以上文藝春秋)、『トマ・ピケティの新・資本論』『幸福論』『道徳感情論』(共訳)(い以上経BP社)、『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(筑摩書房)、『ファスト&スロー』(上下、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)など。 — 本書より引用

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