neputa note

『とんでもなく役に立つ数学』西成活裕【読書感想・備忘録】

初稿:

更新:

- 20 min read -

img of 『とんでもなく役に立つ数学』西成活裕【読書感想・備忘録】

読むキッカケ

趣味のプログラミングで高度なことがやりたくなり数学の壁にぶちあたる。

学生時代の不勉強を後悔することは大人のあるある。

正直に告白すると、私はかなりの数学アレルギー持ち。

いちから数学と向き合うと決めたが、テキストに伸ばす手の重さと言ったらない。

「まずは数学を学ぶモチベをあげよう!」と、本書を手にとってみたのだが……。

『とんでもなく役に立つ数学』の概要

その問題、数学で乗り越えられます!
「渋滞学」で有名な東大教授が、私たちの生活をよりよくする「生きた数学」を、高校生に本気で語る。経済予測にまどわされないコツ、東京マラソンで3万人をスムーズにスタートさせる方法、人生の選択に役立つグラフ――受験のときにきざみこまれた苦手意識や、公式の丸暗記など、形式ばったイメージも一新。教科書からリアルな世界へ。使えて楽しい、数学の新たな魅力を届けます。 — 本書より引用

とあるように、「渋滞学」でメディア出演もある西成教授による高校生に向けて行われた「数学の魅力」に関する講義を収録した一冊。

日本の渋滞、どうやったら解消できる?アリに学ぶ「渋滞学」

日本の道路は渋滞に満ちあふれている。渋滞の解消は、人間社会における重要な課題と言っても過言ではない。渋滞をなくす方法はないのだろうか?「アリの行列は渋滞しない」という事実に着想を得た渋滞解消法を提唱する「渋滞学」の第一人者、東京大学先端科学技術研究センターの西成活裕教授に、『ルポ 日本のDX最前線』筆者の酒井真弓氏がインタビューする。

感想と備忘録

数学アレルギーの原因

上記概要のとおり、本書の目的は、数学を学習することではなく、「数学の魅力」について知ること。

授業冒頭、西成教授が数学の魅力に取りつかれた子ども時代の話しから多くの謎が解けることとなった。

現在、西成教授はあらゆる事象を解き明かす「武器」あるいは「道具」として数学を用いている。

子どものころは先生の言うことやルールに素直に従うことがなかったそうだ。

勉強も好きなように好きなものを学ぶと早くから決めていたとのこと。

先生だからといって、すべてを知っているわけではないということに驚いたし、わからないことをそのまま覚えるなんて納得できなかった。このとき私は、学校の勉強とは独立して、自分で自分のやりたいように勉強しようと心に決めたのです。 — 本書18ページより引用

そんな少年が数学にハマりこんでいく。

これは想像だが、「数学は授業という形式で学ぶには不向きな学問である」、というひとつの証左ではないか。

おそらく、西成少年が数学を授業というチャンネル以外の接点を見出していなかったらどうなっただろう。

持ち前の反発心や頑固さが幸いし、数学を自ら学習したことにより、数学の本質的な魅力に早くから気づくことができたのではないだろうか。

つまり、私を含む大勢いるだろう数学アレルギーの原因は、「授業」という形式で数学を浴びたことによる、と私は断言(言い訳)したい。

私たちの暮らしと地続きの数学

西成教授は生徒たちとの質疑を通して私たちの生活の身近なところに数学があることを伝えていく。

「可能性」という言葉で私たちが頻繁に用いる概念も、つまりは数学の「確率」のこと。

私などは感覚的に可能性を案じるが、「確率」を用いるとぼんやりとした視界が一気にクリアになる。

迷いの多い人生だが、もう少し力強く歩んでいけるような気になるから不思議だ。

そして授業で耳にすると一気に鳥肌が立つこと受け合い「微分」と「積分」。

これらも数式や理論よりもまず、身近にある現象・事象と置き換えた説明がなされる。

これはスローモーションの映像の例えから。

時間をゆっくり動かし、ほんのちょっとの変化を取り出して、それを気長に細かく分け、変化に関係している要因を割り出すのが微分。そして、その、ほんのちょっとの変化、前のコマと次のコマとの差を、気長に積み重ねていくのが積分です。 — 本書70ページより引用

これを用いることで自然界におけるさまざまな現象を解析し、予測へとつなげることができる。

人工衛星が宇宙に行って帰ってこれるのもその1つ。

その他、人間関係のトラブルや集団行動と絡めた「ゲーム理論」、津波警報の計算は「ソリトン理論」による、渋滞を解析する「セルオートマン」などなど、数学理論を身近なコトに結びつけて語られる。抵抗感なく耳を傾けることができる。

数学が社会に届くまでの道のり

これは大枠について。「数学」という学問とリアルな世界とがどのように呼応しているかの話し。これは遠くにある(と私が感じている)数学と、私たちの生活空間との関係性を話してくれている。

また数学に関連する分野である「物理」や「工学」の関係性や違いについてスッキリとした理解を得ることができる。

山から小さな湧水が、だんだん集まって大きな川になり、それが最後海に流れ込むよね。数学は、まさに最上流に位置する湧水のようなものです。 — 本書120ページより引用

なるほど。

その湧水をいろいろな要素と結びつけて、より現実的に育てていくものが物理で、さらに実際の応用を意識した研究が工学。それが社会に流れていき、私たちの社会にたどりつくのです。
海に流れた水は蒸発して大気中に出ていき、雨になって山に戻ってきますが、このような大循環は、数学と社会の呼応にもあてはまります。 — 本書120ページより引用

私たちの生活を便利にしたり命を救ったり安全を守ったりする実社会のおおもとには数学→物理→工学の流れがあり循環しているのだ。

そしてその源泉は「数学」。

つまり数学の進化なくして実社会の発展はないと言っても言い過ぎではないのでは。

ふと思ったけど、研究開発費が現象まっしぐらの日本は大丈夫なのでしょうかね???

社会問題を数学で解決する

西成教授の代名詞ともいえる「渋滞学」についても多く語られている。

これまで何度かメディアで説明を見聞きしたことがあったが、分かったような分かっていなかった私。

科学の対象となりにくい人間の行動をいくつもの数学理論を用いて挑むわけで話はたいへん難しくなるはず。

それが、「数学に苦手意識を持つ学生に向けた話し」という難易度で読むことができるのだからありがたい。

まず渋滞とはどういった現象であるかを物理学を用いて解析し、渋滞の事象をセルオートマンで表現する。

計算を重ね「渋滞吸収車」という解を導き出す。

読んでいてワクワクする。

最後は学生とともに、3万人が参加する東京マラソンのスタートをいかにスムーズにできるかに挑む。

これは、ガッツリ数式を使って解決を試みており、私は完全に置いてけぼりとなってしまった。

だが、本書を読む前と違うのは、数式に対するアレルギーではなく、理解できない悔しさが勝っていたことだ。

一から数学を学びなおし、この最後のくだりはぜひ読み返したい。

無駄学

西成教授は数学と並行して「無駄」についても研究をしているとのこと。

示唆に富む話だった。

教授は「無駄の反義語」を生徒たちに問う。

しっくりしたモノはない。そもそも無駄の定義自体もしっくりくるものがない。

また、「世の中無駄だらけ」「この世に無駄なものはひとつもない」という相反する意見が共存している。

結論として教授は以下のように説明する。

つまり、「いつまでに役立つのか」、という期間を設定ないと、無駄かどうかは決められないのです。世の中無駄だらけ、という人は、この期間設定が短く、世の中無駄なものなんて何もない、という人は期間設定が長いのです。 — 本書223ページより引用

私たちは成果と結びついてはじめて「無駄ではない」と判断する。

現時点で成果が出ていない、あるいは失敗している場合は無駄となるが、さらにその先に成果が生まれれば無駄ではなかったといえる。

期間設定をどこまでと定めるかによるという話、なるほど。

そして、この無駄学の延長として、私たちの社会を構成するシステム「資本主義」へと話しが進む。

社会システム「資本主義」の話

これはたまたま並行して読んでいる『資本主義リアリズム』という本と関連する話で刺さった。備忘録として記しておきたい。

いわゆる「西側」と分類される地域で長いこと人間をやっていると「資本主義って実際どうよ?」という疑問にぶち当たる。

そもそも資本主義は「地球の資源は無限」が前提のツッコミどころ満載「永続的利益最大化計画」である、と私は認識している。

ただ無知な私はツッコミ方が分からない。

西成教授の話はそのあたりの疑問にいくつかヒントを与えてくれるものだった。

223ページ以降から箇条書きの引用でメモを残す。

  • 現在の資本主義が人類の社会システムの最終形態なのかというと、このままいけるとも思えない。
  • 現在のシステムは、すべてにおいて「経済成長」を前提にした仕組みで成り立っています。
  • 1972年にローマクラブが出した報告書「成長の限界」では、このまま人口増加や環境破壊がつづけば、今後百年以内に人類の成長は限界に達して世界は危機に陥る、と書かれてありました。
  • 成長一辺倒のシステムは、地球が有限である限り、いつかは破たんします。
  • そこで、経済成長なしでやっていけるシステムは可能かどうかという議論が、以前から世界でなされているのです。

ちょっと想像してみれば確かにそうだ。優秀な方々はすでに新しいシステムを生み出そうと頑張っているのだ。

実際にはどういった案があるのか、その辺も語っている。

  • ゼロ成長社会というと、個人がチャレンジ精神をなくして社会の創造性が減退していくような暗いイメージがつきまとう。
  • 微分方程式論によれば、ある量が時間とともにどのように変化していくかは、①いずれ一定の状態に落ち着く、②無限に増えつづける、③振動状態になる、という3つのパターンになります。
  • 第3の「振動」状態、これに対応する経済システムというのはありえるのではないか。(振動経済)
  • 平均的には成長率はゼロですが、あるときはプラスで、あるときはマイナスになるのを周期的にくり返す。
  • 景気の波というのは、もうちょっと長い周期で来る。
  • トータルで上昇している。
  • もうちょっと小さな振動で、トータルで上に向かわない、成長率0パーセントで、小さくゆらゆらしている、そんなことができないかなとイメージしています。

実際にとか具体的にという話しを現時点でするのは野暮だろう。

いまの資本主義が生み出す弊害は「成長を常とするところ」にその原因の多くがあると考えている。

であれば、この「成長を常としないモデル」は大きなヒントになる気がする。

おそらく新たなシステムが生まれたとしても新たな弊害が生まれるだろう。

だが人類が真に成長させるべきは「経済」ではなく「システム」だろうと気づかされる。

消費しきれない生産性を発明できたとして喜ぶのは投資家やボードの面々だけだろう。

持続的で幸せな人の数を最大化できるシステムが良いと思うのだがどうだろうか。

まとめ

本書を通じ、本来の私の目的は達せられたと思う。

なぜなら読む前にはミリも存在しなかった「数学を学ぶ覚悟」を決めることができたから。

私のような数学アレルギー持ちで必要なのに学ぶ勇気を持てなかった人間をこうも変化させる『とんでもなく役に立つ数学』はとんでもなく役に立つので興味がある方はぜひぜひ読んでみてほしい。

目次