ドコモショップに因縁をつける高齢者 ~どこにでもある親子間の不毛なやり取り
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日常の愚痴あるいは嘆きと諦念の狭間
久しぶりに母から電話があった。
「ドコモショップに行ったところ、思ったよりお金がかかったが大丈夫だろうか?」という話しだった。
意味が分からない。
もう少し詳しい話しを聞こうとすると、「電池がすぐ切れる」「新しいらくらくホン」「2万円払って2千円ぐらいしかお釣りがない」「保証金」「領収書がない」など、断片的なことを時系列や話しの筋もバラバラに投げつけてくる。
このようなやりとりは母とのあいだで幾度も繰り返されてきたことであり、わたしが驚くことはない。 ちなみにわたしと母は約2倍の年齢の開きがあり、母は80歳を超えている。 この文章は、どこにでもある高齢となった親と、中年となった子の不毛なやりとりだ。
退屈極まりないことをお約束する。
今回の電話の前に前提として、わたしが把握していたことは以下のとおりである。
- 母はドコモのらくらくホンを使用していること
- 用途は主に通話、メール、LINE、簡単な検索であること
- 4Gギガライトプランと通話し放題プランを契約しその他オプションは未契約であること
- 今の端末を使い始めてから約4年が経過していること
そして、聞き出した断片的な母の言い分を整理するとどうやら以下のとおりであった。
- バッテリーの充電が正常に行われなくなった
- 以前端末を購入したドコモショップに出かけ相談したところ機種変更を勧められ申し込んだ
- 端末代金は分割払いの他、その場で1万数千円を支払った
- 担当者が新しい端末へのデータ移行をおこない以前と変わらず使えている
問題は、3番目の「1万数千円を支払った」こと。
何の料金か分からない、「手数料」、「保証金」と言われた気がするとのこと。
この時点で驚く方がいるかもしれないが、わたしは慣れている。
わたしの母はよく分からないままに金を払うことがある。
そして、よく分からないままサインもして機種変更契約の手続きを終えてしまう。
恐ろしいが、よくあることだ。
しかし、何かしらの違和感を感じ連絡をしてきたのだ。わずかではあるが、社会に対する防衛機能が働いたのだと前向きに捉えよう。
何はともあれ、実際に書面や契約情報を確認しないことにはいかんともしがたい。明後日に会うこととなった。
母は電車で一時間ほどで行けてしまう場所に暮らしている。母はラッキーだろうが、わたしにとってはマイナスなことだ。
誰もが感じることだとは思うが、携帯電話やインターネットなどの契約はあまりに複雑怪奇だ。
高齢者が内容をしっかりと理解し手続きを行うなど至難の業である。
資本主義の世界では法の範囲内であれば倫理は無用。
もしかしたら高齢の母が理解できないことをいいことに、不当に支払いを求められたということも十分ありうる。
そうなった場合は戦わなくてはならない。非常に面倒だが。
となれば少しでもいくらかの弾丸は用意する必要がある。ということで簡単に調べてみると80歳以上の客に向けたこのような案内を見つけた。
携帯電話の購入を検討されている80歳以上のお客さまへ
お手続きにおいては、ご家族同伴でのご来店をお願いしております。
なお、お一人でのご来店の際は、店頭からご家族さまへお電話させていただく場合がありますので、来店時間について、ご家族さまと事前にご相談いただきご来店ください。
お電話でのご連絡を希望されない場合についても、事前にご家族さまへご相談の上、ご来店ください。 — ドコモショップ・量販店などで機種変更手続きをするより引用
その他、丁寧に手続きの流れ、注意事項、店頭での手続きでは手数料がかかることなどが説明されている。
今回、母が利用したドコモショップは上記のような対応は行っていない。
この点はいざとなればツッコめるポイントになりそうだ。
そしてさらに「8日以内キャンセル」という制度があることを知る。
これはもう勝ち確定ではないか。
しかも、ドコモは「8日以内キャンセル」を正しく運用しなかったことで総務省から行政指導を受けたとのこと。
あっという間に必殺の銀の弾丸を手に入れてしまった。何たるゆるゲー。 これだけルールが整備され公表されているのはそれだけ数多くトラブルが起きた証左であろう。
油断は禁物だがいずれにせよ悪いことにはならないだろうと幾ばくかの安堵の気持ちで後日、母と会った。
待ち合わせた駅構内のコーヒーショップに入り、母が持参した書類一式に目を通した。 「ない」と言っていた領収書は問題なく書類の中にあった。キレそう。いやこのぐらいではキレない。
そして明細に目を通していくと、端末購入代頭金として1万五千円、事務手数料三千円という項目を発見した。
端末代金から頭金を差し引いた金額が分割払いの合計と一致することも計算の結果あきらかとなった。 つまり、今回わたしの母がドコモショップで行った機種変更契約にはなに1つ問題は無かったのだ。
とはいえ、ドコモ側が定めた80歳以上の来客への対応を行ったこと、今も理解できていない高齢者と機種変更契約を締結してしまったこと、という2つの問題がある。
とりあえず契約内容に問題はないこと、相手の手続きに落ち度があるのでキャンセルできそうなことを母に説明した。
新しいらくらくホン端末は、以前よりも字が読みやすいからこのままで良いとのたまう。
いったいわたしは何に付き合わされたのか。ゆっくりとわたしの頭から血が下がっていくのを感じる。 おそらく今回の件は、
- 説明を受けた情報量が多かったために理解する気が失せ聞き流した
- そのうえで個人の感覚として「余計」と感じた代金を支払った
- 結果、納得いかない気持ちになった
といったところではないか。 さすがにわたしは軽くキレかかったが、なんとか耐えた。
耐えに耐えつつ、よく分からないままサインをしないこと、よく分からないまま金銭を支払うことはしないこと、このような注意はこれまで数えきれないほどしてきたことを母に伝えた。
そして、きっと今回の説明もまったくの無駄になるけど気にするな、と自分自身に言い聞かせた。
今回のことを単純に捉えてしまえば、身勝手な高齢の母親に息子が振り回されただけの話しだ。
ストレスはかなりのものがあったが、母はこんな感じでこれからも生きていくのだろうと思った。
運が良ければ大きなトラブルに見舞われることもないだろうし、少なくとも80歳を過ぎるまで切り抜けてこれたのだ。
とはいえ逐一じぶんの言動を反省し悩むような正確のわたしは永遠に母と分かりあうことはないと確信している。
だが人は良く考えずに金を払い、後からおかしいと思えば誰かを巻き込むし、こんなことは毎日どこかで数多く起きていることだし、こうやって人類は今日までやってこれたのだ。
どっちが正しいとか正しくないということではない。
家族といえども別々の個体なのだから別個の生き方をしてあたりまえなのだ。
100回以上は繰り返されてきたこのような不毛なやり取りが、わたしの中の諦念をより堅固なものにする。
ああ人間ってすばらしい。
Top Photo by : Georg Arthur Pflueger