『オリガ・モリソヴナの反語法』 米原万里 【あらすじ・読書感想】
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あらすじ
1960年代のチェコ、プラハ。主人公で日本人留学生の小学生・弘世志摩が通うソビエト学校の舞踊教師オリガ・モリソヴナは、その卓越した舞踊技術だけでなく、なによりも歯に衣着せない鋭い舌鋒で名物教師として知られていた。大袈裟に誉めるのは罵倒の裏返しであり、けなすのは誉め言葉の代わりだった。その「反語法」と呼ばれる独特の言葉遣いで彼女は学校内で人気者だった。そんなオリガを志摩はいつも慕っていたが、やがて彼女の過去には深い謎が秘められているらしいと気づく。そして彼女と親しいフランス語教師、彼女たちを「お母さん」と呼ぶ転校生ジーナの存在もいわくありげだった。
物語では、大人になった志摩が1992年ソ連崩壊直後のモスクワで、少女時代からずっと抱いていたそれらの疑問を解くべく、かつての同級生や関係者に会いながら、ついに真相にたどり着くまでがミステリータッチで描かれている。話が進むにつれて明らかにされていくのは、ひとりの天才ダンサーの数奇な運命だけではない。ソ連という国家の為政者たちの奇妙で残酷な人間性、そして彼らによって形作られたこれまた奇妙で残酷なソ連現代史、そしてその歴史の影で犠牲となった民衆の悲劇などが次々に明らかにされていく。 — 集英社ホームページより引用
読書感想
主な登場人物
長い長い物語なのでたくさんの人物が登場する。巻頭に人物一覧があるのだが、わたしなりに受けた印象を盛り込んだ上であらためて一覧化してみる。
弘世志摩 シーマ シーマチカ
少女時代をソ連邦支配下のチェコで過ごした日本人女性。帰国後はダンサーの道をあきらめ翻訳家として生きる。シーマチカの設定は著者のそれと瓜ふたつ。ソ連崩壊後にチェコで教えを受けた恩師オリガ・モリソヴナの謎を解き明かしていく。本作における物語推進役。
オリガ・モリソヴナ
謎多きエキセントリックな名物舞踏教師。かなりキャラが立っている。子どもたちの失敗に美辞麗句を浴びせかける反語法の使い手。本作品の主軸であり彼女の生きざまに、わたしたちは酔いしれるのだ。
エレオノーラ・ミハイロヴナ
古風な美しいフランス語を操るフランス語教師。心ここにあらずの雰囲気をまとうその理由に涙せよ。オリガのずっ友であり戦友のような存在でもある。
ミハイロフスキー大佐
チェコのソ連大使館に所属する軍人。知れば知るほどクソ野郎だがじつは真実の底は深い。混迷の時代においては人を簡単に評価してはならない。
カーチャ
本好きなシーマチカの同級生。のちに、図書館員になる夢を叶える。シーマチカとは今も昔も大親友。オリガの謎解きをしっかりサポートする。愛すべきキャラの持ち主。
ジーナ
シーマチカの学校に転校してきた東洋の血を引く踊りの才能豊かな謎多き人物。オリガとエレオノーラを「ママ」と呼ぶ。オリガの謎解きのラストピース。
レオニード
感情を失ったようなグリーンの瞳が特徴の少年。シーマチカの一学年うえの上級生であり、シーマチカの初恋の相手。ヒドイ時代の悲しき運命を背負った彼に深く同情する。
コズイレフ
レオニードの父でありソ連の著名な哲学者。のちに不審な死を遂げる。社会主義の世界では名を成すものはみな死ぬ(偏見)。
ナターシャ
シーマチカがオリガの謎解きの過程で出会うダンサー。彼女との偶然の出会いが物語を一気に加速する。
マリヤ・イワノヴナ
ソ連時代から崩壊後にいたるまで劇場の衣装係をつとめる老女。真の歴史を語れるのはマリヤのように生き残った者の証言のみである。
ガリーナ・エヴゲニエヴナ
夫のスパイ容疑に巻き込まれソ連のラーゲリ(強制収容所)送りにされた体験をつづった手記を書いた人物。この手記がオリガの謎解きの最初の取っ掛かりとなる。「ラーゲリ」という言葉は地獄の響きをもつ。
感想
冒頭、冷戦下のチェコ・プラハにある「ソビエト大使館付属八年生普通学校」の講堂の舞台で、本作品を象徴する「オリガ・モリソヴナの反語法」で物語は幕をあける。
「ああ神様! これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう。長生きはしてみるもんだ。こんな才能はじめてお目にかかるよ! あたしゃ嬉しくて嬉しくて嬉しくて狂い死にしそうだね!」 — 本書9ページより引用
「反語法」、つまり上記のセリフは言葉のとおり礼賛を意味しない。ダンスの授業で踊りをまちがえた少年にオリガが浴びせた叱責、皮肉である。
自称50歳、実際は70を超えているであろう誇り高き舞踏教師「オリガ・モリソブナ」、彼女は言い知れぬ不思議な魅力に溢れている。
彼女の反語法には、強烈であるが痛快な響きがある。
本書のタイトルずばりの「オリガ・モリソブナの反語法」は、いつどこでどのように生まれたのか。内容とタイトルがここまで美しく調和する作品もめずらしい。それこそが読みどころであり、作品がもっとも主張するところなのだ。
第二次大戦以前、ロシア革命、冷戦、ソ連崩壊、と20世紀を通して描かれる大河小説でもある。そして、世界情勢と等しく、ロシアの国内情勢も時代が古いほどヤバさヒドさは増し増しだ。
現在も言論に統制がかかった国ロシアだが、オリガの若かりし頃はシャレにならない。少しでも疑いがあればラーゲリ逝きが確定する。
ラーゲリ(露: Лагерь)とは、ソビエト連邦における強制収容所を指すが、本来はキャンプを意味するロシア語の単語であり、夏休みの子供キャンプ、合宿、宿泊施設も意味する。 — ラーゲリ - Wikipediaより引用
ラーゲリについては山崎豊子の『不毛地帯』で知った。シベリアなど僻地にあり、人が人でいられるギリギリの環境というイメージがある。
そのような過酷な環境をサバイブしたオリガ・モリソブナは、その後も続く混乱の時代をどのように見ていたのだろうか。
小説の登場人物であり、時代も異なるのは分かっている。だが、本書を読み終えたとき、わたしは心の底からオリガに会ってみたい、話しを聞いてみたいと思った。
何もロシアに限ったことではないが、世界中どこでも歴史を作りたがる輩がいる。そういった輩によって歴史が書かれてきた。
だが権力を手にした者たちが書く歴史はいつだって都合のよいことばかりだ。不都合なことは無かったことに。権力が人に抱かせる万能感はそういった行為をあたりまえにしてしまう。今だってそうでしょう。
だが実際に歴史を作ってきたのは彼らではない。歴史には書かれていない無数の名もなき人々が、わたしたち人間の命をつないできたのだ。
権力の側が行うのは争いによる断絶であり、簡単に入れ替わり、消えてなくなる。
スターリン、フルシチョフと時の権力者が失脚し歴史から消え去るなか、時代に翻弄されつつも誇り高く生き抜いたオリガの人生は美しく輝かしいものだった。
小説は素晴らしい。歴史書と違い、オリガ・モリソブナのような人の人生を読むことができる。富や権力を手にしたわけではないし歴史的偉業を成したわけでもない。だが、実に魅了される人物であり生き様だ。
わたしがもっとも読みたいのはオリガのような「誰か」の物語なのだ。
とくに印象深い箇所の引用
思わず付箋をぺたりと貼ったとくに印象深かったところを残す。
ガリーナ・エヴゲニエヴナによるラーゲリの回想
シーマチカが手記について話しを聞こうとガリーナ・エヴゲニエヴナの元をおとずれた場面。ガリーナが語った数あるエピソードの中で、芸術が彼女たちの心を支えた話しがもっとも印象的だった。
自由の身であった頃、心に刻んだ本が生命力を吹き込んでくれたんですよ — 本書212ページより引用
ラーゲリという自由そして人としての最低限の尊厳すらも剥奪され、食べものや水もろくに与えられず、心身ともにギリギリの状況下において、自由だった頃に読んだ本や見た舞台、音楽を収容された女性たちは代わるがわる演じ互いを楽しませた。
人間は夢や希望を抱くことさえできれば、なんとか地獄のような状況でも生き抜けることができるという話しだった。つまり反対にどれだけ物質的な豊かさや行動の自由があったとしても夢や希望がゼロでは生きていられない。
生々しいラーゲリの描写と相まってインパクトがあり、また作品通じてもっとも筆者の筆に力がこめられたと感じる場面でもあった。
生死を選択する自由
ラーゲリに収容されたオリガが絶望のあまり死を望むようになる。だが所持品の一切を奪われた彼女は刃物を手に入れようとやっきになる。
それで、ある日、発見したんだ。靴紐は取り上げられていたけれど、靴ひもを引っ掛けるための掛け金が靴に残っていたのを。その掛け金を外して、曲がっているのを真っ直ぐ伸ばして、毎日床石に当てて少しずつ研いでいった。こうして自分で刃物を手にした瞬間、途轍もない解放感を味わったんだ。自由を獲得したと思った。あたしの生死はあたし自身で決めるって。 — 本書366ページより引用
刃物を手にしたオリガから自殺する気持ちは消え去り、絶対に生き抜いてやると命の火を燃やす。 死ぬことすら許されないというのはある意味で究極的な不自由なのかもしれない。
オリガが刃物を手にしたとき感じた「途轍もない解放感」を想像したとき、わたしの魂は激しくゆれた。
オリガ・モリソヴナの反語法、誕生秘話
平和な時代ではただの嫌味たっぷりな言い回しにも受け取られかねないオリガの反語法はいつどのように生まれたのか。
オリガはラーゲリに向かう護送列車で刑事反の女たちに出会う。
彼女たちは大人しく看守たちに従うことは決してない。団結し、身体を張り、自分たちの権利をとことん主張したという。
罵倒言葉のボキャブラリーは彼女たちから学んだものだった。
罵倒言葉と一緒に権力や権威にひれ伏さない生き方もね — 本書367ページより引用
そして、それらの言葉はオリガの強くたくましく誇り高く生きる精神を表現するものとして刻まれたのだ。
一聴して違和感や不快感があったとしても、人の放つ言葉が、いついかなる状況でその人に刻まれたのかを想像することはとても大切なことかもしれない。
著者について
米原万里(よねはら まり)
1960年、東京都生まれ、59~64年、プラハのソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学ロシア語学科卒業、東京大学大学院露語露文学修士課程修了。80年から同時通訳を始め、ソ連・ロシア関係の報道に従事。90年エリツィン来日時に随行通訳を務め、92年日本女性放送者懇談会SJ賞を受賞。95年『不実な美女か貞淑な醜女か』で読売文学賞、97年『魔女の1ダース』で講談社エッセイ賞を受賞。2002年4月『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で第33回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。 — 本書より引用