文鳥と暮らす ~「溺愛とは?」と思っていた時期が私にもありました【日記】
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まえがき
「文鳥」をご存知だろうか。
2017年4月から「シナモン文鳥」と暮らしている。
その当時、同居を始めたパートナーの連れ子である。
それまで「他者との関係を避けてなんぼ」だった私の人生は、その日を境に大きく変化した。
同居1年目の様子は下記に記録している。
現在の暮らしが始まってから、約1年が経過した。人間2名(わたしともう1名、以降「同居人」と呼ぶ)のほか、小鳥、カエル、カブトムシの幼虫など、多様なメンバーによる共同生活だ。これまで鉢植え1つ部屋に置いたことがなかったわたしにとって、鳥・植物・昆虫・人間が渾然一体となって暮らす生活は、驚きと発見の
読み返してみると何ともぎこちない。
あれから毎日のように世話をし、声をかけ、共に過ごしてきた。
早いもので、今年で6年目。
前回の記録からのその後を備忘録として記す。
本編
文鳥は変わらない
文鳥のご機嫌はまるで秋の空もよう。コロコロと変化する。
文鳥の怒りは激しい。
ピリリリリィーッと叫び、目の前にある私の親指を噛みちぎらんばかりにつつく。
自分で動かしたおもちゃの揺れに怒りだすことだってある。
野生の片りんを感じる瞬間だ。
一方、手のひらにふわふわとした体を丸め、ぐーぐーと眠りこける。
頭の羽をぐしゃぐしゃにしても起きやしない。
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野生とは一体?
文鳥は「怒り」と「喜び」をシンプルに表現する。
その2つの感情は、ホモ・サピエンスのそれとはちがった印象をうける。
生涯わすれないほどの怒りではない。一生の恩を感じるほどの喜びでもない。
「ピュアな感情」、と私は解釈している。
感情はコロコロ変化するが、その態様は初対面のころから一貫して変わることがない。
我が家で最小の個体でありながら、もっとも大きな存在感を放っている。
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私は変わった
いっぽうで私自身をふり返ってみると、さまざまな変化が見られる。
生活の行動変容
まず「生活音」と「振動」を、つよく意識するようになった。
ホモ・サピエンスが発するそれは、文鳥にとって巨人の襲来にひとしい。
安心して暮らしてほしい。その思いから、おのずと家のどこにいるときも、ちいさな家族の存在を意識するようになった。
「他者との関係はわずらわしさと表裏一体」、それが私の真理だった。
だが、他者とのかかわりから生じたこの変化。意外にも私はよろこびを感じている。
新たなコミュニケーション方法を習得
コミュニケーションとは「言語による意味の交換」。それ以外を私は知らない。
言語を介さない文鳥とのこれは一体なんであるか?
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私は文鳥が好きなこと、嫌いなことを分かっている。気がする。
そして文鳥もまた私を把握しているフシがある。
私たちは言葉を交わし互いに意味を交換し合うことはない。
文鳥はケージの中から遊ぼうという気配を飛ばしてくる。
私はそれを受け止めケージの扉を開ける。
文鳥はケージの中からいきおいよく私の手のひらに飛びこんでくる。
そのやわらかい羽毛にほおずりし、あたまの上を、私の鼻先で撫でつける。
途中でやめると、「やめるな、続けて!」、チピピピッと声をあげる。
私たちは言葉を交わす。正確には音を交換し合っている。
文鳥「チピっチピっ」、私「はいはいチピチピ」
意味を送りあっているわけではない。
あるとすれば、お互いを認識し、気にかけていることを伝えあっているのだろう。
満足した気配を感じ、手のひらをほどくと辺りをちょこちょこ散歩しだす。
不思議なことだがケージに戻りたいタイミングもわかる。
手のひらを差しだすとちょこんと乗っかる。
ケージの扉まで運んでやるとトンットンットンッと帰っていく。
休みの日はこれを何度かくりかえす。
何気ないことではある。
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かつてコミュニケーションに、このようなカタチがあることを私は知らなかった。
まぎれもなく文鳥と私は多くを伝えあっている。そして、それはとっても心地がよい。
境界の溶解と溺愛の芽生え
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私と他者、他者と私。その間には決して破ることのできない境界線がある。
それは、誰もが等しく孤独であることを示す象徴のようなものだ。
いつだってATフィールドは私たちの周囲に展開している。
だが文鳥との関わりのなかで、この境界線に異変が起こった。
いつしか境界線の存在を忘れてしまっていた。
これまで、誰にだって、何にだって必ずあったはずのそれが、姿を消していた。
文鳥と日々を過ごすあいだに、いつのまにか溶けてなくなっていた。
シンジ君がエヴァとともに越えていった壁を、私は文鳥とともに飛び越えていったのだ。
喪失への恐怖
手放しで他者を溺愛するような心境とはいかなるものか?
ホモ・サピエンス七不思議のひとつ「溺愛」。その謎の感情を、いまの私は理解できる。
痛いほど分かってしまっている。
朝起床することは「文鳥に会う」を意味する。
普段の生活において帰宅もまた「文鳥に会う」を意味する。
覚醒している間、常に意識のどこかに文鳥がいる。
文鳥との暮らしからこれまでに2度、1泊2日の旅行をした。
しかし、家を出て駅に向かう途中でもう帰りたくなってしまった。
文鳥と離れて過ごすには、1泊2日はあまりに永遠すぎるのだ。
溺愛の副作用は喪失への恐怖。
平均寿命はホモ・サピエンスが文鳥を上回る。
とはいえ私が先に逝く可能性だってある。明日事故に遭うかもしれない。
つまりどちらが先かは問題ではない。
死別が、不可避の現実が、この先の未来にある。それが耐え難い。
日常のふとした瞬間、この事実に襲われることがある。
公共の場だろうと、どこであろうと、膝から崩れ落ちそうになる。
時間が一方向にしか進まないこと、それがこれほど苦しいとは。
この苦しさの裏返しなのだろう。
手のひらのなかで羽毛越しに感じる命がたまらなく愛おしい。
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おわりに
今日もいつもと変わらぬコミュニケーションを文鳥と交わして過ごす。
他者と関係を構築することは不可能なものと半ばあきらめていた。
そんな私に、文鳥は多くをもたらしてくれた。
ホモ・サピエンスであるパートナーとの関係性が破綻することなく今日まで続いてこれたのも、ひとえに文鳥のおかげといっても過言ではない。
理性のみでものごとを捉えようとするおろかな私は、文鳥とのかかわりによって「あるがまま」という概念を知ることができた。
どちらかの命が尽きるその瞬間まで、共に過ごすこの時間を大切にしたい。
ちなみに文鳥の名前は「ティピ」、私の大切な友人であり家族だ。
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あとがき
文鳥に関するエピソードとして、今年とてもうれしい出来事があった。
Twitterでクリエイターの方とご縁があり、好きなお題で楽曲を作っていただく機会に恵まれた。
お題はもちろん「文鳥」。
文鳥は決してメジャーではない。ゆえに大変なご苦労をおかけしてしまったと思う。
だがこれ以上ないほどの曲を書いてくださった。
Simizyさんによる「Lovery Java Sparrow(愛しのシナモン文鳥)」という曲、ぜひ多くの人、そして文鳥たちに聴いてほしい。
また、もし我が家の文鳥をもっと見たいという方がいらしたら、Instagramにちょこちょこ写真を載せているので見てやってほしい。
長々と書いてしまったが、前回につづき、文鳥との暮らしを書いてみた。
当初の動機となったのは、クレア・キップスの『ある小さなスズメの記録』という著作を読んだこと。
『ある小さなスズメの記録』 クレア・キップス 【読書感想・あらすじ】
あらすじ 第二次世界大戦下のイギリス。夫に先立たれた一人の老ピアニストが出会ったのは、一羽の傷ついた小雀だった。愛情深く育てられたスズメのクラレンスは、敵機の襲来に怯える人々の希望の灯となっていく――。特異な才能を開花させたクラレンスとキップス夫人が共に暮らした12年間の実録。世界的大ベストセラー
著者とスズメ、種を越えた関係性がつづられた美しい記録である。
読んだ当初、実際にそれがどういうことか想像もつかなかった。
今ならわかる。そして記録を残しておくべきと強く思っている。
お互いが元気である間にまたこの続きを書きたい。
Top photo : シナモン文鳥♂