「正しさとは何か?」 倫理学の入門書を3冊読んでみた【日記】
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まえがき
本記事の目的
「倫理学」をご存じだろうか?
今年からワケあって倫理学をはじめてみた。
手始めに3冊の入門書を読んだ。
- 『入門・倫理学』(赤林朗)
- 『現代倫理学入門』(加藤尚武)
- 『「正しさ」の理由「なぜそうすべきなのか?」を考えるための倫理学入門』(中村隆文)
まだ入門書を読みかじったレベルで語れることは無に等しい。
だが私のように、倫理学の存在を知ることで救われる人がいるかもしれない。
また個人的な頭の整理を目的としたアウトプットでもある。
以上2つを目的とし、本記事をまとめる。
私は誰?(そして予防線)
40代半ばの都内在住会社員。高校卒業後は海外を放浪。よって学位も何もない。高校は論語を教える文系教育校。倫理学や西洋哲学などの履修経験なし。つまり正真正銘の「ド素人」である。
本記事は一般人の体験をベースとした書き散らしである。「本格的に倫理学を履修したい」「受験に向けて高校倫理を学びたい」という方は、ぜひ専門性の高いサイト、書籍等を参考にしていただきたい。
「人生の折り返し地点で本気を出した一般リーマンの記録か、読んでみるか」と、ご了承いただけた方は先へどうぞ。
倫理学で解決したかった課題
そもそもなぜ「倫理学」か。詳細は後述するが、端的に言うと「正しさとは何か?」。これに尽きる。
インターネット、とりわけスマホが普及したことで情報の送受信者が爆発的に増加した。これまで見えなかったモノ・コトが一斉に可視化された。副作用として氾濫する情報(とくに価値観)に溺れることが増えた。
みな様はどうか? 行き交う情報に振り回されてはいないだろうか? デジタルネイティブの若い方ならともかく、人生の途上でインターネット社会に突入した私たち世代は、確たる自分がない限り今の状況は相当きついと思う。
解決したかった課題はつまり、正しさとは何かを知り、自分なりの価値観を確立する、だ。
倫理学によって学べること
では倫理学がサクッとやっちゃってくれるかと言うとコトはそう簡単じゃない。ないのだが、かなり強めの武器が入手可能だ。
その武器を強引に、簡潔にまとめるとこの3つ。
- 善いこと正しいことの理解が深まる
- モノ・コトを相対化し考えられるようになる
- 人生のあらゆる場面で応用できる
もう1つ、副次的に「興味の世界が広がる」というのも付け加えておきたい。
本編で詳細について記していく。
本編
倫理学を学ぶ経緯
私が倫理学へと辿りついた経緯について記す。
ごく私的な備忘録である。倫理学について読み進めたい方は次の「おすすめの倫理学入門書」へどうぞ。
簡単に言うと、「私自身の大幅なアップデート、いやOSを入れ替える位の何かをしないと自分は壊れる」という状況に陥ったから。
新型コロナ、プーチンの野望、ここ数年は人類全体が非常に騒がしい。幸運にも私は生きている。だが、メンタルと体力を大幅に削られる日々であった。
若いときは周囲数百メートルぐらいを「自分ごと」と捉えていた。だが年を取ると経験・知識の蓄積に比例し、否が応でも共感性が増す。
こいつは意外と厄介だ。良い面もあれば、遠くの出来事に精神を削られる負の側面もある。ましてやインターネットの力は計り知れない。その両面への刺激を加速度的にブーストしてきやがる。
そんな日々のなか、2021年に入ってしばらくして妹が自殺した。このことはいつか向き合わねばならないと思う。だが、まだ無理だ。状況や感情を表す言葉を見つけることができずにいる。向き合うことができず、不幸なニュースもつい目を逸らしてしまう。
今思えばこの時、私の精神は臨界点に達していたと思う。
私は人に悩みを打ち明けることができない。一人で考え解決することを良しとする傾向がある。唯一、ブログやSNSが、私を思考チアノーゼから解放してくれる。
だが、この辺りで「一人の限界」をはじめて自覚した。信仰かカウンセラーか非合法のアレコレ、何でもいいからとにかくすがりつけるものを!
心から必要だと感じた。
その時、頭に浮かんだのが「倫理学」。倫理学が合法で良かった。
2021年、偶然NHKで視聴した『ここは今から倫理です。』というドラマが頭の片隅にいた。
20代を中心に異例の人気を誇る雨瀬シオリの異色の学園コミック『ここは今から倫理です。』を実写ドラマ化。日々価値観が揺さぶられ続けるこの世界で、新時代のあるべき「倫理」を問う。誰も見たことの無い本気の学園ドラマ。【原作】雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』【脚本】高羽彩【音楽】梅林太郎【制作統括】尾崎裕和 管原浩【プロデューサー】倉崎憲【演出】渡辺哲也 小野見知 大野陽平
この期間に直面したすべての根源に「相反する価値観の衝突」が存在する。真摯で高潔で誇り高い妹もそうだった。
言い換えれば「正しさとは何か?」の問い。倫理学はそのための学問であることを思い出したのだ。
オススメの倫理学入門書
まず倫理学とはどのような学問であるか理解する必要がある。
以下のサイトを参考に3冊を選び出した。
- 【倫理学のおすすめ本9選】入門~中級者におすすめの本を厳選して紹介|リベラルアーツガイド
- 倫理学の本、おすすめ6冊。入門書や解説書など。 - 生活百花
- 【2023年版】倫理学のおすすめ本”13選”【倫理学】
各入門書の概要と簡単な感想を記していく。
『入門・倫理学』 赤林朗
「倫理学を、体系的・網羅的にまとめた論文集」という印象。
最初に読み始めたのが本書。これまでの人生で触れてこなかった練られた思想、聞きなれない用語。これらを前に「ウッ」となる。「ウッ、ウッ」とダメージを受けまくる。
分からないまま無理やり読み進め、やがて理解できるラッキーは永遠に訪れない。そんなヤワな代物ではない。よって、分からない!と思ったら、すぐさま調べる。現代は素晴らしきインターネット社会。知りたい情報は光の速さで手に入れろ。
私のブレークスルーは「ここみらいチャンネル」。高校受験対策を解説するYoutubeチャンネルだった。絶対に理解させない強い意志の塊のようなカントの義務論。このぶ厚い扉をこじ開けてくれた。
しっかり理解するためには改めて原典にあたる必要はある。だが、足がかりとなる何かは必要だと思う。参考までに活用させていただいたYoutubeチャンネルを挙げておく。
自力で解決することも大切だが車輪の再発明を回避する「何か」は1つぐらい持っておきたい。手強い相手にはぜひとも併せ技で挑むべし。
とはいえ、本書はなかなか大変だった。私は次に紹介する『現代倫理学入門』を並行して読み進めることにした。これが良かった。詳細は次に記す。
総括して本書の良かったポイントは「倫理学という学問全体を把握できる」こと。未知なる世界に足を踏み入れるとき、その世界の奥行きを把握し迷子防止につなげたい。倫理学のコンパスのような一冊である。
『現代倫理学入門』 加藤尚武
ひとつ前の『入門・倫理学』と並行して読み進めた一冊。
「体系的・網羅的」という点では『入門・倫理学』に分がある。本書は実社会の例を交えた解説がなされ、いくらか読みやすい。
これら2冊を交互に読み進めたのは正解だったと自負している。ここで紹介した本に限らず、自分に合いそうな本を複数選んでおくのは自分流の挫折防止術でもある。
以上2冊で倫理学の全体像、用語、各論の概要をひとまず抑えることができた。気がする。そして次が本命というか私が望んでいたものと言える。
『「正しさ」の理由 「なぜそうすべきなのか?」を考えるための倫理学入門』 中村隆文
「倫理学の真髄に、ググっと一歩踏み込んだ一冊」という印象。
本書では、前の2冊からさらに一歩踏みこんで倫理学各論のエッセンスを読み解いていく。
用語や基本概念の詳説は少ない。
よって、本書を余すことなく読み込むために、前の2冊のような基本解説的なところを押さえておくことをオススメしたい。
本書までたどり着くことで「これを読みたかった」と思える境地に到達することが叶った。 それは当初、思い描いていたものとは大きく異なるどころか真逆のものだった。
その辺りについて次に詳しく書く。
倫理学入門書を読んだ後の心境
倫理学への一歩を踏みだす以前、私が知らないだけで、難しい本には「一神教における神のような真の正しさみたいなもんが書いてあるんやろ?」と思っていた。今となっては恥ずかしい限りだが。
薄々気づいてはいたが、そんなものは書かれていない。
大きな期待を胸に開いた倫理学の扉の向こう側。そこは反証に次ぐ反証のバチバチの世界だった。
- 「結果が良ければ動機なんて別に」(功利主義)
- 「いや動機の善性が重要」(義務論)
- 「イヤイヤそもそも人格やろ」(徳倫理)
- 「そもそも善とか価値とかってなに?」(メタ倫理学)
善とは何か?正しさとは何か?を探究する学究が互いに手斧を投げ合う修羅の世界。それが「倫理学」。
と言うのは冗談として、この世界に正しさは存在しないのか?
現段階における私の理解は「正しさは存在する、あるいは存在しないは半分正しく半分間違い」というもの。
もう少し頭を整理してみる。
当初、心理的に追い詰められていた私が夢想したいわゆるジャスティスのような「絶対的な正しさ」などというものはないのだろう。だが「正しさや善」などというものはまったく存在しないかというのも違う。
「正しさや善は相対的な価値観であり、時代や地域や状況によって異なる」という理解である。
私たちが生きる人間社会において、正しさを問われる場面を避けることはできない。先人たちもずっとそうだったしこの先の未来人も同じだろう。
家族や友人関係、学校や職場、命がかかった災害や医療の現場、互いの正義がぶつかり合う国家間などなど。私たちはあらゆる場面で「正しさ」や「善なるもの」といった物差しを必要とする。必要に迫られる。
しかし全方位に応用可能な「正しさ」があればよいが、そんな便利なものは存在しない。それゆえさまざまな倫理学が存在し、各場面において用いられ、また時代変化と共に研究が求められているのだろう。
そこで「変化すること」と「多様であること」が重要なポイントだと思い至る。
「変化すること」について
かつて読んだ『異常とは何か』という本を思い出しながら書く。
異常とは何か (小俣和一郎) のあらすじと感想。精神医学を根底から問い直す画期的論考! 人類は狂気とどう向き合ってきたか。自殺の主因を「うつ病」に求めていいのか。健康ブーム、アンチエイジング医学に潜む危険な兆候とは──〈異常〉と〈正常〉の線引きを歴史的に検証し、人間の精神とはなにかを
この本は、ミシェル・フーコーの「知の考古学」よろしく、「異常」とされるモノ・コトの変遷を、歴史をさかのぼり明らかにするというもの。そして、異常・異端とされるものは、数世紀あれば余裕で真逆にすらなる事実を明らかにする。
同じく社会的な価値観を土台とする正しさや善なるものだって同じだ。
私たちは「バイアス」という能力を持つ異能力者だ。何の脈絡や論理的な積み重ねが無くとも瞬時に「こうだ!」と強い確信を持つことができる。
危険が多い古代の暮らしのサバイバルにおいては大いに重宝したことだろう。だが現代においてはただのバグでしかない。
私たちは「価値観は変化する」という現実を、厄介な「バイアス」を抱えた生き物であることと併せ、繰り返し自分自身に認識させておくことが大切なのだと思う。
「多様であること」について
「正しさの価値観は人の数だけ存在する」と思っている。
ドイツの現役刑事弁護士であり小説家でもある「フェルディナント・フォン・シーラッハ」の『禁忌』という作品に、次の一文がある。
法とモラルがちがうように、真実と現実も別物だ
「法とモラルがちがう」は理解できるとして、後者の「真実と現実も別物」とはこれいかに。
あくまで私の解釈としてご理解いただきたい。
ここで言う「現実」は現象を指し、「真実」はその現象に対し人それぞれが得た確信と捉える。
たとえば「日が沈む」という現象ひとつとっても、意味するところは人の状況や立場によってさまざまである。ある人にとっては一日の終わりであり、ある人にとっては絶望の始まり、みたいに。
ある事件など価値観が対立する場面においては、その違いはより顕著となる。
凶悪事件でも芸能人の不倫でも戦争でも何でもいい。
つまり、私が、あなたが思った正義は自分だけのものであり、似た思考思想があったとしても厳密には同じではない。また絶対的で普遍的な正しさなどというものは存在するべくもない。
人の数だけある正義によって「価値観のモザイク画」が新たに誕生するだけだ。
人間の持つ価値観を色の濃淡で例える。このモザイク画は、ある時代では赤味が強かったり紫がかっていたりするのだろう。そして、どの色も良い悪いを意味しない。人類の歴史は、ただただその色味が変化し続けているだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
現時点における私の理解だ。
究極の倫理的課題は生命倫理?
やや脱線した内容となってきたので軌道修正する。
読んだ3冊すべてに共通して感じることとして、「生命倫理」が倫理学の極地みたいな印象を受けた。
どう生きるかは大切なことだが、やはり命の際でどうするかはなるほど究極的な問いのオンパレードであることは想像がつく。
不幸な事件事故で私たち市民は自分の価値観であれこれ言いたがるが、生命倫理に関する文章を読んだ今、今後は口をつぐもうという気になる。
優秀な頭脳を持ちかつ人生をかけてこの問いにチャレンジした猛者たちが無数に存在したのだ。そしてその試みは今も続いている。
生半可な知識であれこれ言いたがるより、私がすべきは謙虚に本を読め。
歴史は知っておいた方がいい
冒頭で、『副次的に「興味の世界が広がる」』と書いた。
それはつまり歴史に限らないが知りたい、知っておきたいという欲求が、倫理学の入門を通じて湧いてきたという話し。
読んでいてやはりどうしてもピンと来ないというか、納得感が得られない箇所は多数あった。私の頭脳がお粗末と言えばその通りなのだが、他にも何かあるやろと考えてみたところ「知識」という結論にいたった。とくに歴史の知識。
どんな思想や理論も、なぜそのように考えたかの背景が分っていないと理解は半減してしまう。宗教が世界の摂理だった時代とニーチェが神殺しをしたあとでは社会の価値観は大きく違う。
倫理が生まれた背景を知り、その上で内容を自分の血肉にしていくことが大切だよなーなどと思う次第。
今後の学習方針
入門書をザザッと読んだだけで何も始まっていないに等しいのだが今後はどうするかを考えている。
とりあえず倫理学の祖ソクラテス、アリストテレスは読んだ方がいいなと思っている。
また入門書を読んでいる過程で知った「ミシェル・フーコー」が私の中で神格化されつつある。
フランスの哲学者なのだが、私はその生きざまに魅せられてしまった。
第二次大戦前、同性愛が犯罪であった当時のフランスに生まれた彼は、生まれながらにしてアイデンティティを否定されたが、己の存在を肯定するために「知の考古学」という手法であらゆる文献を掘り起こし、性の歴史のみならず人間社会のあらゆる構造を明らかにして見せた人物である。
フーコーが書き残したものを理解したい、が今の目標。これを軸に関連する部分も含めて学んでいこうというのが方針。と自分自身への戒めとしてここに記す。
あとがき
書き始める前のイメージとしては、自分なりに理解したものをズバッとババンッと記す予定だった。結果はダラダラとまとまりない長文駄文。
私の理解不足、能力不足であり、読んでくださった奇特な方には心よりお詫び申し上げたい。
正直なところ、縋りつくように倫理学を読むその行為自体に、「生きようとしている」という後ろめたさがある。
自ら決着をつけた妹に対してである。
血縁者とはいえ違う人間だから、そんなことを思う必要はないのかもしれない。かもしれないがこの思いは生きてしまっている限り拭えないと思っている。
これは、学びによる知では解決できない予感がしていて、祈りとか悟りとか、そっち方面じゃないと無理かもな。
いずれにせよ、息している間は本を読もうと思う。倫理について考え続けようと思う。
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